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会えないときこそ、花を贈ろう。|母の日ストーリーvol.1 落合絵美

お母さんに「想い」を届ける日。 外に出られないこんな時だからこそ、「母の日」に何を贈ろうか、何を伝えようか考えてみて欲しい。あなたはどんな想いを伝えたいですか?母の日の過ごし方を考えるきっかけになればと、本日から数回に渡り、素敵な母の日ストーリーをご紹介します。 今回は、株式会社Kiss and Cry創業者で、広報業務のコンサルティングや書籍プロデュースなどを手掛ける落合絵美さんの母の日ストーリーです。


会えないときこそ、花を贈ろう。

「最後になるかもしれない。」

そう思って、予定もしていなかったのに実家にクルマを走らせた。数週間前のことだ。

その時、私のおなかには8ヶ月の赤ちゃんがいた。 よく動く子で、中で勝手に動き回る。おかげで私は、まるで船に乗っているみたいにふらふらする。 そのおなかを抱えて、パートナーと二人、ベビー用品を買いに行った。

街は、未知のウイルスに脅かされつつあった。遠い異国では、外出もままならなくなっていた。 もしかしたら、じきに日本でも悠長に出産の準備もできなくなるんじゃないかと焦った私は、服やタオル、おしりふき、おむつなどを買い込んだ。

その帰り道で、ふと、母に会いに行きたくなったのだ。

たまたま、店が実家に近かったというのもある。 でも本当は、母に会いたかったからこの店を選んだのかもしれない。

実家は、埼玉で農業を営んでいる。

疫病が流行っているときに、中年というよりも高齢に差し掛かってきた母に会うのはリスクがある。 もし私が既に感染していたら母にうつすかもしれない。 そう思うと恐ろしかった。でもなんとなく予感がした。 「出産前に会えるのは、これが最後のチャンスになる」と。

実家につくと、ちょうど母は農作業中で、換気十分のだだっ広い畑の真ん中で、私たちは10分ほど立ち話をした。おなかの中にいる子どもの様子や、その日買ったばかりのベビー用品のこと、他愛もない世間話。最後に、収穫したばかりのにんじんを2本頂いて、家路についた。

非常事態宣言が出されたのは、その数日後だった。

ママに会いたい。でも会えない。

予感の通り外出もままならなくなったけど、おなかの子は9ヶ月を迎え、外の世界の混乱も知らずにすくすく育っている。私はひたすら家にこもって、産休前の最後の仕事と、子供のための手仕事に勤しんでいる。

この子が生まれても、母に抱いてもらうのはだいぶ先になるだろう。多くの病院は、いまや子どもの父親ですら立ち入れない場所になっている。祖父母ともなると、面会禁止のところがほとんどだ。退院後も、この状況では、恐ろしくて我が子を人に抱かせることも出来ない。

なんで、こんな「あたりまえのこと」が出来ないんだろう。母になる。そして自分の子を母に見せる。あやし方を教えてもらったり、おむつの変え方を教えてもらったり、母が私にしてくれたように、お歌を歌ったり、泣き止むようにあやしたり。本当は色々教えてほしいし、一緒にやりたい。でも今はできない。「あたりまえのこと」だと思っていたことが、今はものすごく尊い。

ママに会いたい。

でも、会えない。

そんなときに、真っ白なあじさいが目に留まった。まるで子どものおくるみみたいに、やさしい色のあじさい。

こんなときこそ、花を贈ろう。

こっちが不条理を感じているように、相手も不条理を感じているはず。なんで身重の娘にもっと会えないんだ。なんで孫にはすぐ会えないんだ。

みんないま、悲しみを抱えている。でも、悲しみに暮れていても何も始まらない。悲しみに負けて心を砕いちゃダメなんだ。こんなときこそ、心を豊かに、生活を豊かに、人との関わりを豊かに。

会えないときこそ、花を贈ろう。

きっとこの花が母の心の癒しになる。母が喜ぶことで、私にとっても癒やしになる。そしていつか庭先に根を張り、子供が歩けるようになったら、じょうろで水をあげるんだ。

その姿を眺めながら、私と母は語るんだ。あのときは大変だったね。でも、振り返ってみたら一瞬だね。

そんなことを言い合いながら。


落合 絵美|1982年生まれ、埼玉県出身。早稲田大学第二文学部・表現芸術系専修卒。子供の頃から文章を書くことを好み、19歳から出版社でインターン勤務。大学卒業後、高額商材の販売員を経て出版社に復職。在職中に「せっかく良いコンテンツを作っても、マーケティングとPRがわからなければ犬死だ」と痛感し、情報発信を学ぶためにPR会社に転職。広報業務のコンサルティングのほか、書籍プロデュースなども手掛け、2018年より独立。2020年に株式会社Kiss and Cryを創業。ライター・フォトグラファーとしても活動する。