「お母さんみたいなお母さんになりたい」|母の日ストーリーvol.4 岩花理沙

お母さんに「想い」を届ける日。 外に出られないこんな時だからこそ、「母の日」に何を贈ろうか、何を伝えようか考えてみて欲しい。あなたはどんな想いを伝えたいですか?母の日の過ごし方を考えるきっかけになればと、本日から数回に渡り、素敵な母の日ストーリーをご紹介します。 今回は、子供服などを取り扱うアパレルブランド「Fil by PLAYROOM」の創設者でグラフィックデザイナーとしてもご活躍中の岩花理沙さんの母の日ストーリーです。


わたしの理想の母親像

すごく昔の話になるのですが、私がまだ幼稚園に通っていた頃、玄関先の階段から転げ落ちたことがあるんです。たしか、5、6段目位だったかと思います。

おでこから血が流れて来たことにとてもびっくりして、「大怪我した!でも病院は嫌!」と、とにかく怖くて大泣きしていたのですが、母はささっと薬箱を取りに行き、止血用の粉を振って絆創膏を貼っておしまい。とても痛かったはずだったのですが、あまりにも簡単でした。

「あれ、もしかしたらそんなに大した事じゃなかったのかも…?」と、あんなに泣いていたはずなのに泣き止んでしまいました。

正にそれが、私の理想の母親像。

これは怪我だけに限った事ではないのですが、起こった出来事を母親が大したことにしてしまうと、子どもはそれ以上にもっと大したことだと感じてしまう。焦っている時は何故かうまくいかないし、ついイライラしてしまうと子どもは余計に泣く。それ程、母親から受ける感情はとても大きいものだと、自分に娘が生まれてから特に感じています。

いつも見守ってくれたお母さん

ありきたりな言葉ですが、子育てのお手本は母。

初めてのことばかりで、子どもと過ごしていると日々本当に色んな出来事が起こりますが、こんな時、「お母さんだったらどうするかな…」を念頭において、いつも母の姿を振り返りながら過ごしています。

気を付けてでも、ある程度の鈍感力で過保護になりすぎないようにしたい。

母の、動じない所、あっさりした所、"大したことない"と言う気の持ち方は、「どうか母から受け継いでいたい…」と願うばかりです。

思い返してみても、"あぁしなさい、こうしなさい。""勉強をしなさい。""これを習いなさい。"などの、一般的に教育と言われるような言葉を言われた記憶がありません。

小さな選択は数知れず、大きな選択であれば、行きたい学校も、やりたい事が出来たと大学を途中で辞めてしまう我が儘も、それこそ結婚に至るまでの大事な人生の節目節目を、いつも私自身に決めさせてくれたように思います。

ファッションブランドのカタログ等をディレクションする岩花氏。このカタログも彼女がデザインしたもの。

そうかと言って、放置されていた訳でもなく、意見がなかった訳でもない。全ての対応がとても自然でした。母と私の間には、母が無意識で作り出していたすごく穏やかで、丁度良い距離感がありました。そして幼いながらに、一対一の人間として扱ってもらえているのだと嬉しく思った記憶があります。

自分が母親になった今、見守ると言う行為はつくづく体力のいる事だなぁと感じています。価値観が多様化している今、今まで考えられて来た当たり前や、良い事や悪い事、何が正解なのかは段々と変化していますが、娘が大人になった時にはもっともっと色んなことが変わっているのだろうなと思います。だからこそ、娘には私の正解だと思う事を押し付けないようにしたい。これは、母が私に、自分で選択をし、判断させてくれたからこそ、そう考えるようになれたのだと思います。

結局、その時私が選んだ選択は、間違いだったのか正解だったのか、母はもちろん私自身でさえも判断できません。だからこそ、何か特別な事や得意な事がなくても、「元気でさえいてくれたらそれで良い」と思ってくれていたのかなぁなんて、我が子を眺めながら都合良く解釈しています。

支えてくれるのはいつまでも私のお母さん

2年程前、産後まだ少ししか経っていなかった頃に出張でのお仕事をいただいた事がありました。

撮影の立ち合いと打ち合わせがメインだった事もあり、先方は娘さんも一緒にどうぞと言って下さったのですが、初めての子連れでの新幹線移動。

小さな娘を連れたお出かけにもまだ慣れていないし、「新幹線で泣いちゃったらどうしよう。」「荷物ってどれだけ必要なんだろう。」「ホテル滞在でしんどくならないだろうか。」と、出来ない理由を考え出せばキリがなく、やっぱり今回はお断りしようと考えていました。そのことを母に相談すると、「大丈夫大丈夫。子守りがてら、一緒について行ってあげるから、仕事しておいでよ。」と母が言ってくれて、母と娘を連れて出張先へと行く事になりました。

もちろん、目的は仕事をしに行く事ではありましたが、私にとっては初めての母子旅。母を独り占めした旅行になりました。幸いにも、数時間の新幹線も何事もなく過ぎて行きました。母がいる安心感から、私の心が落ち着いていたのだと思います。

仕事中、「お散歩したりお昼寝したり、2人で楽しくやってるよ。」とたくさん写真が送られて来ていました。1日のスケジュールが終わり、夜になってようやく合流しましたが、私自身、半日も娘と離れるような事が一度もなかったので、とてもソワソワしていたのを覚えています。

その日の夕食時に「この子(娘)の事は見ていてあげるから、今まで通り仕事しぃな。いっぱい色んな所に行きたいからいつでも着いて行くわ!」と言われました。あの時の母の言葉のお陰で、今日に至ります。

孫(娘)を抱く母と食事をした時の様子

デザイナーと言う、スケジュールが非常にタイトな仕事柄もあり、子育てをしながらうまく時間を使うことがなかなか出来ず、また、今までと違うと言うことが心の余裕をなくしていき、少ししんどくなってしまった時期がありました。

娘が生まれるまでの間は、がむしゃらに走り、いつも仕事の事ばかり考えていたので、もっとうまくやれると思っていた自分と実際の自分との違いに嫌気がさし、「向いてないかもしれないけど、一層の事、お母さんみたいに専業主婦になろうかな。」と考える事もあったのですが、あの日、母とお酒を飲みながら交わした何気ない会話で、「そっか。まだまだいっぱい甘えて迷惑かけても良いんだ。そしてその分は返せば良いんだ。私のお母さんなんだから。」と、とても心が軽くなり、今までとは違う仕事の仕方や、自分なりにバランスの良い生き方を見つける事が出来ました。

「お母さんのようなお母さんになりたい」

今までしてもらってばかりだった自分が、ようやく母を旅行に連れて行ってあげられるようになった事も、母がこんな場所に行ってみたいと伝えてくれるようになった事も、全てが私に自信を与えてくれました。

それが仕事や子育てのモチベーションにもなっています。

親になった今でも、仕事にやりたい事に、あれもしてみたい、これもしてみたい…と、日々頭いっぱい考えながら生活している私の目から見れば、母は30代の頃からずっと、自分よりも家族の為に生きて来た人。

けれど、あなたはどんな人生を送ってきましたかと聞かれれば「家族の為にしか生きてこなかった。」ではなく、「家族の為に生きてきました。」と、堂々と、当たり前のように言うんじゃないかなと思うのです。

それも、とても幸せそうに。

眠る娘をやさしく抱く岩花氏

今は、私や姉の子どもと遊ぶ毎日。そんな母の姿を見ているととても穏やかな気持ちになります。そしてきっと、母はまた自分よりも孫の笑顔の為に生きるのだと思います。

"お母さん"と言う存在は家族の真ん中にあって、拠り所のようなもの。だからこそ誰よりも幸せでなければいけないと思っています。

私が大人になった今、ようやくこの数十年に起きた色んな話を聞くようになり、状況的に苦しい時もしんどい時もたくさんあったのだなと、知ることが出来ました。

ですが、幼い頃の私の目には、幸せそうな母の姿しか映っていませんでした。そして今も、幸せそうな母の姿しか見ることはありません。それで、良いのだと思います。

岩花氏は母を見本に子育てに励む。

次は、家族の真ん中である私が、笑顔で誰よりも幸せに生きて、娘にもそんな母の姿を見て育ってほしい。母と同じようにはなれなくても、私は私らしく、してきてくれた事や与え続けてくれた暖かい気持ちを、娘に伝えていけたらと思っています。

"お母さんのような、お母さんになりたい。"

「こんな言葉をいつか娘に思ってもらえるような、お母さんになりたいなぁ。」なんて考えながら、その言葉をメッセージカードに記しました。

母の日の花と一緒に、この言葉を母に贈ります。


岩花理沙(Risa Iwahana) 1988年生まれ兵庫県出身。 大学在学中にパッケージ、雑誌のページデザインなどに興味を持ち、独学でillustratorを勉強。その後アパレルブランドに就職し、グラフィックデザイナーとして勤務。自社のデザインの他、「A DAY IN THE LIFE(双葉社)」、「my STYLING DIARY(宝島社)」など、書籍デザインを手掛ける。その後、展示会や結婚式を始めとする空間を含めたトータルコーディネートなど、女性向けデザインを中心に活躍の場を広げ、2017年第一子の出産を機に、勤めていたアパレルブランドから、子ども服などを取り扱う「Fil by PLAYROOM」を立ち上げる。