どうも。ナチュラルと日本の文化に向き合う担当shioriです。
前回「植物が登場する」百人一首をご紹介したのを覚えておいででしょうか。
忘れちゃった or 読んでない方はぜひチェック👇
ありがたいことに楽しんでくれた方もいたようですので、予告通り第二弾に参りたいと思います。
はい。今回は植物だけに限らず季節を詠んだ歌たちのご紹介です。
春の百人一首
春の百人一首は、前回ご紹介した桜や若菜が登場するもの以外にもあります。
- 花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに ―― 小野小町
- 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
まずいきなり花が登場している二首ですが、これについてはハッキリと何の花なのか分かっていません。
ただ漠然とした花という存在に自分の美貌を重ねたり、花の香りに人の心模様を重ねて詠むというのは、まさに自然に寄り添うひとならではの感性なのではないでしょうか。
- 春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなくたたむ 名こそをしけれ ―― 周防内侍(女)
また春という直接的な言葉が出てくる一首ですが、こちらはただの夢ではなく「春の夜の夢」と限定することでぐっと儚さが増すところがポイントです。
冷静に考えるとどの季節に見ても夢は夢のはずなのに、春の夢と聞くとどこかロマンチックな雰囲気を感じ取るのが日本人らしく思えますね。
夏の百人一首
夏の百人一首には、植物が登場するものはありません。
なのでこの四首ですべてです。
- 春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山 ―― 持統天皇
- 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ ―― 清原深養父
- 風そよぐ ならの小川の 夕暮は みそぎぞ夏の しるしなりける ―― 従二位家隆
まず夏という言葉が直接現れる三首は、それぞれ表現している時期が異なっています。
持統天皇は天の香具山(天香久山)の新緑とそこに干された白い衣のコントラストから初夏を感じ取り、
清原深養父は夜明けがあまりに早く訪れたことに夏の盛りを実感し、
従二位家隆は周囲の景色から既に秋の雰囲気を感じつつも年中行事(夏越の祓)を見てまだ晩夏なのだと感心しているのです。
季節の移ろいをそれぞれの生活の中から敏感に見出し、言葉に残していくこの感性は、自然と向き合うことで育まれたものではないでしょうか。
- ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる ―― 後徳大寺左大臣
さらに興味深いのがホトトギスです。
ホトトギスは夏の訪れを告げる鳥としてよく和歌に登場します。
後徳大寺左大臣もこの歌を詠んだ時、その年最初のホトトギスの鳴き声を聞きたいからと夜明けを待っていたのだそうですよ。
夏が大好きで待ちきれなかったのでしょうか(笑)
そんな自ら季節を感じに行こうとする積極的な姿勢にはとても親近感がわきますね。
秋の百人一首
秋を詠んだ百人一首は、四季のうち最多の十六首(!!)あります。
しかも秋を表す言葉の特徴は多くが「秋の●●」という形になっていて、あえて一年中存在するものの秋の姿がクローズアップされていることです。
秋の自然ってどうしてこんなに特別なんでしょうか。
- 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ ―― 天智天皇
- 夕されば 門田の稲葉 おとづれて 蘆のまろやに 秋風ぞ吹く ―― 大納言經信
日本人にとって最も馴染みがある秋といえば前回もご紹介した紅葉と思われますが、それに並ぶ秋の風景がもう一つあります。
そう、秋の田んぼです。
天皇が詠む歌にすら農作業のために作られた小屋が現れてしまうほど、日本人と稲作は切っても切れない縁があるんですね。
- み吉野の 山の秋風 小夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり ―― 参議雅經
- 吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ ―― 文屋康秀
- 秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ ―― 左京大夫顯輔
さらにもう一つ、秋の風物詩といえば秋風も忘れてはいけません。
カラカラに乾いた強い秋の風は、吹かれた人々の心に強烈な印象を残します。
先程ご紹介した大納言經信の歌にも秋風が詠まれていましたよね。
田んぼど真ん中育ちの筆者としても、秋といえば黄金の稲穂をカラカラに乾かして波のように揺らす秋風が一番に思い浮かびます。
- 今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな ―― 素性法師
- 月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど ―― 大江千里
強い秋風が雲を払い木々が葉を落としだす秋には空がよく見えるようになります。
すると目につくのはやはり煌々と輝く月ですよね。
中秋の名月なんて言葉もありますが、遮るものがない秋の夜長は月も一際明るく感じて、それに照らされる夜の地上は一年で最も美しい時間をくれるような気がします。
そういう月に日本人は幸福と物悲しさを見出してきたのではないでしょうか。
- きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣片敷き ひとりかも寝む ―― 後京極攝政前太政大臣
また生物からも秋は感じ取れます。
やはり秋の生物と言えば、虫ですね。
キリギリスはその代表ですが、他にもコオロギやマツムシ・クツワムシなど……不思議と秋になるとヤツらは一斉に鳴き出しますが、あれはどういう原理なんでしょう。
昔も今も、日本人は秋の虫の声を聞いては心を揺さぶられるようです。
冬の百人一首
最後は冬の百人一首。冬を詠んだ百人一首は全部で五首あります。
- 田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士のたかねに 雪は降りつつ ―― 山邊赤人
- 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪 ―― 坂上是則
冬といえばまずは雪ですね。
雪景色は世界共通の冬の風物詩ですし、もちろん日本人も雪景色には並々ならぬ思い入れがあります。
もう雪景色を見ただけで感動せずにはいられないんですね。
- 鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける ―― 中納言家持
- 心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花 ―― 凡河内躬恒
また霜も寒さを感じる言葉です。
雪とはまた違った形で世界を白く覆う霜は、滅多に雪が降らない地域でも見られる冬らしい姿の一つ。
世界が真っ白になることについ心動かされる気持ちは古から変わらないのかもしれません。
- 山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば ―― 源宗于朝臣
最後に、直接冬という言葉が入ると寂しさが段違いになることも記しておきます。
多くの人が「冬」という言葉から最初に連想する景色は、幹と枝だけになった雑木林を白い雪や霜が覆う、静寂の世界なのではないでしょうか。
現代においては冬にも楽しいイベントが盛り沢山ですが、それでも「冬」という言葉が最初に連れてくるイメージは今でも物淋しいままのような気がします。
三十一文字に見る季節の風景
いかがでしょうか?
全2回に渡ってお送りした季節の百人一首の世界、お楽しみいただけていれば幸いです。
1万年以上自然の中で暮らし、成長し、千年前には既にただ連々と言葉を並べる世界から「三十一文字」にいかに景色を込めるか極めるまでになっていた日本人。
私たちも今140文字でいかに上手いこと言うか挑戦したりしていますが、多様になった表現方法の全てを使いこなして、これからも自然を愛し記録していければいいなと思う筆者でした。