みなさんこんにちは。マーケのRisaです。
本日は実家のある群馬県から執筆しています。
8月に入り、昨晩は町の小さな納涼祭が開かれ、盆踊りの曲が風に乗って聞こえてくると、ようやく夏を感じます。
数十年前から変わらない、テープがすり減っているかのようなかすれた炭坑節が祭りの終盤に流れ始めると、必ずや夕立がやってきます。
昨晩も遠くからゴロゴロと近づいてきて、さーっと雨を降らせていきました。お決まりのパターンです。
群馬県は、夏場は毎日のように雷鳴が聞こえます。
これは、赤城山、榛名山、草津白根山、谷川連峰などがあり、山地で暖められた上昇気流が生まれ、それが雷雲に成長しやすいことから北関東で最も雷が発生する土地だそう。明治時代には、雷の被害を防ぐために、雷神を祀った神社が300社以上あったと言われています。(参考:『雑学の日本地図300連発!』河出書房新社)
それだけ雷と身近な関係を築いている群馬県民の筆者。先日東京のオフィスで仕事をしていると、珍しく夕立が。
久しぶりに聞く雷鳴に心が踊り、稲光がアーティスティックなものに見え、興奮を覚える自分がいることに気付き・・・
隣のデスクのshioriをチラっと横目で見ると、さすが彼女も同郷。同じく目がキラキラしていました。群馬県民の特性でしょうか(笑)
さて、前置きが長くなりましたが、以前にshioriが執筆した、「月の名前に込められた季節」の記事をふと読み返していたら、下記の記述がありました。
「神無月」という名称の由来:
雷の鳴らない月=『雷無月(かみなしづき)』が転じたとする説
かつては「雷に感光することで稲穂が実る」という民間信仰まであったように、日本人にとって雷は非常に大きな存在だったことが分かりますね
「雷の多い年は稲が豊作」とう俗信はよく耳にしますね。
果たしてそれは本当なのか?を一緒に紐解いていきましょう。
「稲妻・稲光」語源
まず、その言い伝えを調べるにあたり、そもそも「稲妻」「稲光」という言葉の中に「稲」が存在することから、光が稲っぽく見えた昔の人が、見た目的にそういう名前を付けて、後付けで雷が来りゃ雨降って豊作になるから無理やり雷とこじ付けただけじゃな〜い?と、ギャル風に由来から疑ってみました。
調べてみた↓
大和言葉の「いなずま」もしくは「いなづま」の語源は、稲が開花し結実する旧暦の夏から秋のはじめにかけて、雨に伴い雷がよく発生し、その落雷によって大気中の窒素が田畑に固着されるため、落雷した稲穂は雷に感光することで実る、という理解が生まれた。
そのことから雷を稲と関連付けて “稲の「つま(配偶者)」” と解し、「稲妻」(いなづま)、あるいは「稲光」(いなびかり)などと呼ぶようになったといわれている。
(出展:Wikipedia)
え、名前負けじゃない。。むしろ先祖たちは元素うんぬんを理解してその名を付けていた説濃厚・・?
落雷によってもたらされる土への影響
前述の、「大気中の窒素が田畑に固着される」という部分は、科学的に立証されていました。
まず、窒素は肥料の三大栄養素のひとつでもあるように、植物の成長に不可欠な元素です。窒素は窒素でも、空気中の窒素を植物が直接取り込むことは出来ません。
ところが、雷によって大きな電流が雨に溶け込むことで窒素量が増え、これは放電ただの水に比べ窒素量が1.5倍にもなるそう。
この水が土壌に吸収され、窒素を微生物が分解することで無機化され、植物が吸収できる形になります。
つまり、土壌の栄養が潤沢になることで稲が豊作になるということが分かりました!
雷の発生条件と稲の成長に必要な環境条件が合致
稲は7〜8月上旬が最も成長するので、天候に大きく左右される時期でもあります。
夕立(夏の雷)は、太陽で地表が温められる→上昇気流発生→積乱雲がつくられ、雷雨になるという構図がほとんどですが、つまり稲にとって必要な日照・気温・降水がもたらされる点で、条件が合致します。
「雷の多い年は稲が豊作」は真実だった!
上記2つにより、その俗説は科学的に立証されているということでした。
なんとも先人の知恵はすごいと改めて気付かされることになりましたね。
いずれはこの放電の仕組みを活用し自然エネルギーから化学肥料の代わりとして活躍しそうですね。
おまけ
注連縄に垂れ下げる紙垂(しで)は、雷(稲妻)を表現しているという説があります。
宮沢賢治も注連縄の本体は雲を、〆の子(細く垂れ下がっている藁)は雨を、紙垂は雷(稲妻)を表わしている」と、宮沢賢治が農学校で教鞭をとっているときにも生徒に教えていたらしいです。
人々は神社に参拝し、雷の発生=稲の豊作を願っていたそうです。
雷は五穀豊穣をもたらすことから、「神鳴り」とも表現され、神格化されていました。
「地震雷火事親父」と言われるように、雷はもちろんこわいものでもありますが、古来から人々の生活を潤してくれていた、そんな優しい存在でもありました。
次に雷鳴を聞いたときには、あなたも筆者と同じように胸が高鳴るかもしれませんね!