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アメリカからこんなコロナの時期だからこそ晴れのように元気だと伝えたい|母の日ストーリーvol.3 楠山健一郎

お母さんに「想い」を届ける日。 外に出られないこんな時だからこそ、「母の日」に何を贈ろうか、何を伝えようか考えてみて欲しい。あなたはどんな想いを伝えたいですか?母の日の過ごし方を考えるきっかけになればと、本日から数回に渡り、素敵な母の日ストーリーをご紹介します。 第3回目は、株式会社プリンシプル代表取締役社長の楠山健一郎さんの母の日ストーリーです。

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日本にいる母、アメリカにいる僕

僕は今、アメリカのカリフォルニアで家族と自宅待機をしている。僕らが住むカルフォルニアにも日本のニュースが入ってくる。自宅待機の日が続き、遠い場所に住む母のことを考える時間も増えた。僕は母に何か悪いことが起きても、すぐには会いに行けない距離にいる。コロナで大騒ぎの日本、母の体調は大丈夫かと毎日心配だ。今はコロナで大変な時期だけれど、そういえば4月11日は母の誕生日だ。

「お誕生日おめでとう。もう75歳だね。」

そんな言葉も今は直接伝えられない。コロナがなければ、今頃母はアメリカの家に遊びに来ていたころだろう。その時に、誕生日のお祝いをする予定だった。実は前にも、母がアメリカに来る予定がなくなったことがある。父の病気が発覚した時だ。その時のことを思い出しながら、僕は今、「母に何をしてあげられるだろうか」と考える。

「これから、自分の時間を少し作りたい。」母が自分自身を大切にした瞬間

母親はいつも自分のことよりも人のことばっかりを考える人だった。父のこと、子どものこと、家族のこと、そして友人のことを常に気遣っていた。反対に自分のことは常に最後で、自分自身を犠牲にしてきた部分も多いのではないだろうか。食事はいつも父や僕らの好きなものを作ってくれた。旅行の行先も、母はあまり主張せずにいつも父の行きたい所に合わせていた。

父が倒れて入院した時には、毎日のように病院に通って、いつか倒れちゃうんじゃないかと心配だった。そんな中、母が少し自分の気持ちを言葉にしたことがあった。

「これから、自分の時間を少し作りたい。」

初めて母が自分のことを考えた瞬間だった。

父の理解もあって、少しずつ病院にいく回数を減らして、母は自分の時間を大切にするようになった。そんな母に、安心したことを覚えている。

父が入院中、母は「アメリカに旅行行っていいか?」と聞いたそうだ。父親は、悩むことなく「いいよ、行ってきなさい。」と答えたという。その時、とても嬉しかったと、後で母が教えてくれた。もちろん入院していた父をそのままにしていくことを相当心配していただろう。しかし、母を信じて、そのような判断をしてくれた父に、僕は心から感謝した。母親に自由な時間を与えてくれてありがとうと。そういう風に、少しずつでも、自分の時間大事にしようと考えはじめた母を見て僕はまた、安心した。人のことを考えすぎて疲れてしまう母の姿をよくみていたから。

家族を大切にする母と入院中の父、そして楠山氏で記念撮影

そんな矢先、父の容態が急変。旅行どころではなくなって、結局、母の渡米は実現しなかった。そして、そのまま父は天国にいってしまった。

本当は、アメリカ旅行は父親と2人で来る計画だった。父親が入院して行けなくなり、断念した。

「またお父さんの病気が治ったら一緒に2人行こう」

と話していたのに、結局父と母が一緒に来ることは叶わなかった。

その時のことを、今回の件でまた思い出した。あの時の父の思いも一緒に、世の中が落ち着いたら、アメリカに来てほしい。母の元気な姿と、大好きな笑顔を見ながら、「お誕生日おめでとう、いつもありがとう。」そう伝えたい。

心配性の母との思い出

そういえば、母は心配ばっかりする人だった。

小さい頃から、頭が痛いと僕が言うとすぐに心配して、「もう頭痛は治ったの?」って何度も聞いてくる。もうすっかり大人になっても、心配ばっかりしてくれる。もう自分で何とかできるのに、母にとって僕はいつまでも子どもらしい。

僕が幼かったころ、母にいつも心配ばかりかけさせていたからだろうか。小学校6年生の時に、そんな母に反抗したくなって、学校帰りに内緒で東京モーターショーに行ったことがある。塾を勝手に休んでいたことが母にばれてしまって、長い時間お説教をくらった記憶がある。そういう時期も必要だったかもしれないけれど、今になって考えると、申し訳ないことをしたと、いまさらながら反省する。

僕が安定した大企業を辞めて、自分で事業を始めた時も、おそらく凄く心配してたのだろう。会うたびに「会社の状況はどうか」と聞いてくるものだから、「そんなに心配されてもなぁ」と少し困った。おせっかいな母に、僕が母に反抗していた幼少期を思い出す。だけど今は、その時よりも母の気持ちを理解できる。親が自分のことを常に考えてくれることは、とても有難いことだと思えるようになっていた。

最近は母も、心配することのほとんどが現実には起こらないということを知ったようだ。起こったら起こったで仕方ないと、前向きに考えるようにもなったみたいだ。前よりも僕を心配することも減ったように思う。母が自分のことを考えられるようになってよかった。僕も少しは心配をかけないようになったということなのかな。

自身の会社を成功させた楠山氏。嬉しそうに従業員と集合写真を撮る様子。

こんな時だから、僕が母に伝えたい気持ち

これからは、母には自分自身のことを1番に考えてほしいと思う。今までやりたくてもやれなかった好きなことをやってほしい。今からでもたくさんの経験をしてほしい。いつも自分よりも他人のことを大切にしていたのだから、これからは自分を大切にしてほしい。今までの母の生き方も素晴らしかったけれど、少し自己中心になった新しい生き方も、とても素敵だと僕は思う。これからの人生を後悔のないように楽しんでいる母を想像して、笑みがこぼれた。

母にこの想いを伝えたら、いつものように、「私は私で幸せだよ」って言うのだろうな。だけどそれが母らしい生き方なのかもしれない。逆に僕は、自分自身のことばかりを考えてきた人生だったかもしれない。母の人のことばかりを考えるところを見習っていこうかと思う。

コロナがひどくなる前は、頻繁に日本に帰っていたけれど、次はいつになるだろう。いつこの自宅待機が解禁されるかも分からない。不安だらけの毎日だ。そんな中でも家族全員元気に、この状況を前向きにとらえて頑張っている。心配しすぎの母も今回はあまり心配していない。またすぐに会えるってそう思えるからかな。

「誕生日おめでとう。体調には気をつけてください。」

今度は僕が母を心配したくなった。そういえばそろそろ母の日だ。遠い場所から、「元気ですか」の言葉と一緒に、「たくさんの愛情を与えてくれてありがとう」と伝えよう。母の笑顔によく合う、ピンク色のカーネーションと共に。

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楠山 健一郎         1973年埼玉県生まれ。1996年国際基督教大学(ICU)卒業。シャープ株式会社、株式会社サイバーエージェントを経て、2001年トムソン・ロイターグループに入社。「ロイターco.jp」を立ち上げ、急成長させる。2007年同社のメディア事業部門の日本責任者となり、プレジデント社と「プレジデント・ロイター」等立ち上げる。株式会社オークファンの執行役員事業統括を勤めた後、2011年株式会社プリンシプル設立。現同社代表取締役社長。