母親に「感謝の気持ち」を届ける母の日。 外に出られないこんな時だからこそ、「母の日」をきっかけに何を伝えるべきなのかを考えてみて欲しい。あなたはどんな想いを伝えたいですか?母の日の過ごし方を考えるきっかけになればと、素敵な母の日ストーリーをご紹介します。 第2回目は、NewYorkの三ツ星レストランJean-Georgesにて、日本人初のスーシェフとなり、現在では青山に店舗を構えるThe Burnの料理長である米澤文雄さんの母の日ストーリーです。
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「体に気をつけるんだよ。」という母の言葉。
突然日本からNewYorkに旅立つことを決めたのだが、自分から母には「行ってくるね」と一言伝えただけだった。自分にとってはNYへの旅立ちは「挑戦」であったが、母親にとっては「別れ」であることはそのときは考える余地も無かった。
「体に気をつけるんだよ。」
20代前半に単身New Yorkに飛んだ。そして今では東京青山で「The Burn」というレストランを経営している。
僕は母親の肩を叩いて「心配ないよ。」と言った。
「俺と母さんのことは心配するな。ただ、たまにでもいいから母さんに電話してやってくれ。」母と離れたタイミングで最後に父親は僕にそう言った。
今のこのデジタルに溢れた時代だからこそ、異国にいてもいつでも連絡が取れるという感覚はあるが、当時は今のようにSNSも無かったため、NYで働くことに対する感覚は自分だけでなく、両親にとっては今生の別れのような感覚だったかもしれない。そして、父の言葉はきっと自分の妻に心配だけはかけたくないという、愛すべき女に対する愛情なのだろう。
体に気をつけるんだよと言われた旅立ちの一言も、記憶に残っていないわけではないが、NYではとにかく仕事に明け暮れた。母に対して、ありがとうと伝えようなんてよぎってもいなかったかも知れない。でも、ふとした瞬間に、父親の言葉を思い出したわけではないが「電話をしなきゃ」と思うこともあった。
だが、何日も何週間も、何ヶ月も電話をするのを忘れてしまう。わかってはいるのだが、特に話したいことがあるわけでもない。

「便りが無いのは元気の証」 という言葉で心の整理をつける母
そうこうしていると、ふと忘れた頃に母親から電話が来る。
―元気にしている?
―仕事は順調?
―体調管理は大丈夫?
今思えば、いつも母からの一方通行であったように感じる。
父からの約束を破り続け、NYで5年間も過ごした。自分が仕事に没頭する傍ら、母親から、「便りが無いのは元気の証だよね」と言われたことをふと思い出した。
当時はそのまま真に受けて「電話をしなくても大丈夫だ」と解釈していた自分がバカだったと思う。今思えば、そうやって母は自分から連絡が無いことを「便りが無いのは元気の証」という言葉を使って母なりに整理をつけていたのかもしれない。
当時のことを母親と話し合うと、NYの三ツ星レストランで修業をしている息子を応援することは、母にとっては何よりも嬉しい事だった、そしてそれが生き甲斐であったと耳にしたことがある。

親になって初めて分かる、無償の愛のカタチ
月日は過ぎ、僕自身も結婚し、そして2人の子供が生まれた。僕の妻、そして母の一助もあってか、元気に育ってきてくれた。
子供たちを見ていると、無償の愛を提供されていることに対して「ありがとう」という感謝の気持ちを持っていないのだと知った。自分のことを投げ売ってでも注ぐほどの愛情があって当たり前だと感じる段階では「ありがとう」という言葉はまだいらないかもしれない。
また、子供が出来てから「子供の笑顔が、僕の最大の幸せだ」という親としての感情に気づいた。この子が笑顔で生き続けること。それが親としての喜びの1つだろう。
それらを経て、僕は自分自身が母となる妻を持ち、子供を持ってから、母親からの無償の愛の最大のお返しの方法を1つ気づいたのだ。
それは、自分が笑顔で生き続けていることだ。そんなことを考えていると、ふと昔の父親の言葉を思い出した。
「俺と母さんのことは心配するな。ただ、たまにでもいいから母さんに電話してやってくれ。」
笑顔で生きている。それを伝えることがプレゼント
たとえどこにいても、会えなくても、「笑顔で生きている」そう伝えるだけで、母は救われる。でも何度こう言おうと思って言えなかったか。母の日というのは、そんなときに、僕らにきっかけを与えてくれるチャンスかもしれない。面と向かっては伝えづらい気持ちがあるかもしれない。
―母さん、育ててくれてありがとう。
―母さん、元気でいてくれてありがとう。
そんな言葉に乗せて、
―あなたのおかげで、僕は元気に生きています。
と伝えたい。

最大の恩返しは、僕たちが笑顔で生きていること。それを伝えられること、そして伝え続けることが、無償の愛への最大の恩返しなんだと思う。
こんな時だからこそ。
―母さん、育ててくれてありがとう。
―母さん、僕を信じてくれてありがとう。
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米澤 文雄
1980年東京都出身。恵比寿イル・ボッカローネ経て、22歳で単身ニューヨークへ。インターンを経てJean-Georgesにて、日本人初のスーシェフとなる。帰国後、KENZO ESTATE WINERYでエグゼクティブシェフなどを経て、2014年Jean-Georges Tokyoオープン時より、シェフ・ド・キュイジーヌに。2013年 アメリカ大使館「Taste of America」日本大会優勝。2015年には日本最大級の料理人コンペティションRED U-35で「ゴールドエッグ」を受賞。2018年9月、The Burn料理長